疫病(えきびょう)から
免がれることが免疫です。
 
 
むかしむかし、大変(たいへん)な疫病がありました。
ペストと天然痘(てんねんとう)です。
ペストは細菌で、多くはクマネズミの体内にいます。ネズミを刺(さ)したノミが、人間をさせば、人間にペストが発生します。
 
ケオプスネズミノミ(メス)
 ペストは人類の歴史を通じて最も致死率の高かった伝染病であり、1347年から1353年にかけて流行(りゅうこう)した際にはヨーロッパの全人口の約3分の1, 約2,000万から3,000万人が死滅(しめつ)しました。1347年10月、中央アジアからイタリアのメッシーナに上陸、1348年にはアルプス以北のヨーロッパに到達したそうです。
 日本での流行は明治32年に台湾から来航した船舶からペスト菌を持ったネズミとペストに感染した船員が神戸港に上陸したので始まり、このネズミによって、周辺の地域にまでペストが拡大し、1899年、1900年、1905〜1910年代に大きな流行があり、その後、大正15年まで散発的に流行を繰り返し、昭和4年の最後の患者が発見されるまでの間、厚生省伝染病統計によるとペスト患者数は2,912名、死者数は1,464名でした。
 
ペスト菌の発見
ペスト菌は1894年にスイスフランス医師で、パスツール研究所細菌学者でもあったアレクサンダー・イェルサン香港で発見しました。また同時期に、ロベルト・コッホの指導を受けた日本人細菌学者の北里柴三郎がこれとは全く独立に発見しました。
 左の顕微鏡は、北里柴三郎が使用したものです。
 丸い中に見えるものが、顕微鏡でみたペスト菌です。


 現在、ペストに効果のある抗生物質(こうせいぶっしつ)があります。
 
天然痘(てんねんとう)
 天然痘ウイルスは直径200ミリミクロンほどで、数あるウイルス中でも最も大型の部類に入ります。ヒトのみに感染・発病させます。
 天然痘の発源地はインドまたはアフリカとも言われ、はっきりしません。恐らく最初は他の動物の病気であったものが、何らかの原因でヒトへの感染性・特異性を獲得したものでしょう。
 天然痘で死亡したと確認されている最古の例は、紀元前1100年代に没したエジプト王朝のラムセス5世であり、そのミイラには天然痘の痘痕が認められました。
 165年から15年間ローマ帝国を襲った「アントニウスの疫病(アントニウスのペスト)」も天然痘とされ、少なくとも350万人が死亡したそうです。その後、12世紀十字軍の遠征によって持ち込まれて以来、流行を繰り返しながら次第に定着し、ほとんどの人が罹患するようになります。
 コロンブス到来以降、ヨーロッパ人の殖民(しょくみん)とともに天然痘もアメリカ州に侵入し、アメリカ先住民に大きな被害をもたらしました。白人だけでなく、奴隷として移入されたアフリカ黒人も感染源となりました。旧大陸では久しく流行状態が続いており、住民にある程度抵抗力ができて、症状や死亡率は軽減していましたが、アメリカ先住民は天然痘とは無縁であったため全く抵抗力がなく、所によっては死亡率が9割にも及び、全滅した部族もあったそうです。
 
日本の天然痘
 日本への伝播は6世紀半ばで、『日本書紀』には、「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられます(麻疹説もある)。735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去しました。奈良大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行です。
1885〜87 天然痘、明治になって第1回大流行、死者3万2千人。
1892〜94 天然痘、明治になって第2回大流行、死者2万4千人。
1896〜97 天然痘、明治になって第3回大流行、死者1万6千人。
 
天然痘をやっつけ人、エドワード・ジェンナー
 18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱(のうほう)から抽出(ちゅうしゅつ)した液を健康な人間に接種するという方法がアラブ世界からもたらされました。
 
この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものでした。
 
ジェンナーは考えました。
 牛でも天然痘に似(に)た病気があり、この牛の病気にかかった乳搾(しぼ)りのひとは天然痘にかかりにくいことを知っていました。そこで、この乳搾りの人の膿(のう)を普通の人に植え付ければ、その人は天然痘にならないとかんがえたのです。
牛痘(ぎゅうとう、英:cowpox)とは牛痘ウイルス感染を原因とする感染症
 
 ジェンナーが牛痘による種痘を行なった当初、無理解な人々はこのようなマンガで彼を嘲笑(ちょうしょう)した事もありました。種痘を受けた人々の体から牛が生えています。
 
1798年
ジェンナーが考えたように、牛の膿(のう)を接種された人たちは、天然痘から免れました。
 
天然痘の撲滅(ぼくめつ)
 1958年世界保健機関(WHO)総会で「世界天然痘根絶計画」が決まり、根絶計画が始まりました。
 中でも最も天然痘の害がひどいインドは天然痘に罹(かか)った人々に幸福がもたらされるという宗教上の考えがあったため、根絶(こんぜつ)がむずかしいと思われました。
 WHOは天然痘患者が発生すると、その発病1ヶ月前から患者に接触した人々を対象として種痘を行い、ウイルスの伝播(でんぱん)・拡散(かくさん)を防いで孤立させる事で天然痘の感染拡大を防ぐ方針をとりました。これがうまくいき、インドで天然痘患者が激減(げきげん)しました。

 この方針は他地域でも用いられ、1970年には西アフリカ全域から根絶され、翌1971年中央アフリカ南米から根絶された。1975年バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのエチオピアソマリアが流行地域として残りました。

 1977年、ソマリアの青年の患者を最後に天然病患者は報告されておらず、3年を経過した1980年5月8日にWHOは根絶宣言を行いました。
 天然痘ウイルスは現在、アメリカとロシアレベル4施設(しせつ)で厳重(げんじゅう)に管理されており非公開になっています。
 天然痘は現在自然界においてウイルス自体存在しないものとされ人類が根絶した感染症として唯一のものです。

日本では1955年の患者を最後に根絶されました。

WHOによる根絶運動により、1976年以降予防接種が廃止されました。